短編作品紹介
Boys
2003年のSci fiction初出。同年のティプトリー賞ノミネート作と書けば、傾向も自ずとわかるでしょう。寓話めいた設定で、ストレートにジェンダーを扱った(ようにみえる)作品だ。
女だけが住む谷をはさんで、山に住む男だけのふたつの軍隊が戦っている。定期的に双方の男達は谷に降りて少年たちをさらい、また女たちと交わる。戦いはいつ何のために始まり、今も続いているのか、もはや誰も知らない。
語り手は中年にさしかかった"大佐"。エムシュの多くの作品と同じく、本作もかれの一人称で語られる。
俺たちには、また新たなガキどもが必要だ。ガキどもはとてつもなく無鉄砲で、衝動的で、無謀で、無分別だ。あえて煙幕と銃火と戦闘のど真ん中に突っ込んでいく。そういや、十二歳になる俺の息子が絶壁のてっぺんに踏ん張って、敵に向かって叫びたててたことがあった。無茶をやらなきゃ、勲章なんてもらえっこないんだ。
俺たちはどこからでもガキどもをさらってくる。こちら側か、敵側かなんて気にしない。やつらは、かつて自分らがどちら側にいたのかなんて、すぐに忘れちまう。もし、知ってたとしてもな。だいたい、七つのガキに何がわかる? 俺たちの軍旗が最高にイカしてて、俺たちが最高に冴えてるって言い聞かせりゃ、まんま信じこむ。ガキどもは制服が大好きだ。羽根飾りのついた洒落た制帽。勲章をもらうこと。そして、軍旗と、鼓笛と、戦闘の雄叫びが大好きなんだ。
さらわれてきた男子で構成される山の軍隊は無意味な戦闘のみが存在意義のすべてであり、かれらにとって谷底の女だけの村は、タネつけの快楽と、新たなガキどもの収穫のみの対象である。"大佐"が語るにつれ、『男の世界』は実は『ガキどもの世界』だということがわかってくる。ルールを重視したゲームめいた感覚の戦闘。母親に対する憧れと拒絶の二律背反。そう、これは男だけの世界、女だけの世界で単なるジェンダーの対立を描いたものではなく、ガキども(boys)と母親たち(mothers)の物語なのだ。
いつものように女たちの谷に降りた大佐の一行は、いままでと違った雰囲気を察する。障壁が築かれ、女たちは武装している。これまでにもガキどもをさらうのに母親が抵抗することはあったが、今回は組織的な反抗だ。いったい何が起こったのか...。
実はいろんなことが「わかっていない」主人公の一人称の語りから、やがて浮かび上がってくるテーマ(いわゆる信頼できない語り手の手法)。平易だが安易じゃない英語。どこをとってもエムシュらしい名品だが、今回はシンプルで寓話めいた設定がよりテーマの普遍性を浮きたたせているようだ。こんな作品を無料で全世界に公開するとは、Sci fictionはなんて太っ 腹なんだろう。
Creature(ロージー)
妻子と別れ、辺境の地でひとり暮らすわたしは、唯一の友であった愛犬を亡くし、自暴自棄となっていた。大きな戦争のため、どちらの陣営が生き残っているのかすらわからない。ある日、わたしの元へひとりの生き物が訪れる。耳に07と番号を打ったタグが留められた緑色の巨大な爬虫類は、人間じみた耳や手足を持ち、着込んだベストのポケットには綺麗な石と詩集が入っていた。おそらくは、軍の研究所で生み出された、遺伝子操作の戦闘用怪物なんだろう。傷ついた生き物は、優しく、慎ましかった。わたしは、生き物を介抱し、一緒に暮らしはじめる。ぎこちなく喋り、歌をハミングする生き物。わたしは女性だと確信し、亡き愛犬の名を取ってロージーと呼ぶことにした。彼女も気に入ったようだ。だが、やがて追っ手が現れる...。
本作は"Foster Mother"(F&SF, Feb/2001)の続編となる。戦闘用怪物は、人間の「母親」によって育てられる。マニュアルによれば、この生き物はライ豆ふたつ分の脳味噌しかもたない。愛情を持って育てなければならないが、本当の感情、本当の笑顔、本当の悲しみは持ち得ないこととなっている。だが、「母親」は生き物と愛情を通わせ、一緒に逃亡を図る。(この生き物は、"Creature"のロージーではないようだが、作品の背景は同じである) "Creature"に戻るが、冒頭で生き物を危険を承知で招き入れるわたしの行動は、寂しさと憐憫と、そして自棄が入り混じったものだ。感情を読み難い爬虫類の眼。わたしは喰われる恐怖に襲われながらも、生き物の世話をする。一方、生き物もおびえつつも、やがて心を通わせていく。わたしは、人間の遺伝子を組みこまれているのだろうと推察し、その物腰や嗜好から、女性だと確信する。戦争忌避者のわたしと、逃亡者たるロージー。妻子と別れたわたしと、母親と別れたロージー。いずれも絶対の孤独者で、強い欠落感に呵まれているふたりは、深く結びついていくのだが、先に待ち受ける未来は決して明るいものではない。哀しくも美しいラストの対話とわたしのモノローグは、永く心に残ることとなるだろう。
Day at the Beach(浜辺に行った日)
おそらくは最終戦争の後、緩やかに世界が滅亡(もしくは再生)しつつある時代のこと。ベンとマイラの夫婦は三歳になった息子を生まれてはじめての海へと連れていく。食糧や物資の不足と強盗団の襲撃や略奪行為が日常化した時代背景があくまでもマイラの視点から淡々と語られ、浜辺へのたった9マイルのささやかな冒険旅行の顛末が綴られていく。
Foster Mother
Creature (ロージー)の前日談。レビュウは"Creature"参照。
Idol's Eye
フィリッパは厚い眼鏡の前に前髪を垂らして、ぼんやりとしか視えない弱い眼をガードしている。ただでさえ冴えない田舎娘なのに、そんなんじゃあろくな男が寄ってこない。両親も半ば諦め気味で、しつこく言い寄ってくる不愉快な男に娘をまかそうとするが、フィリッパはどうしても我慢できないのだ。そして強引に迫る男をはねつけた夜に、フィリッパの弱い眼にもはっきりと視える不思議な生き物たちに導かれて訪れた楽園で、傷つき盲しいているが気高く崇高な男性と出会い恋におちたのだった。
結末で男性の正体と生き物たちの動機などがやや蛇足的に明かされているが、夢と現実が交錯する展開とフィリッパの女としての内面の変化を巧みに捉えた筆致が冴えた初期の作品である。
I live with you and you don't know it
あたしはあなたの家に住んでいるけど、あなたは気付いていない。あなたの食べ物をそっとかじる。あなたは訝しむ...鉛筆とペンはどこにいったのかしら。お気に入りのブラウスはどうしちゃったのかな。(あなたとあたしのサイズはぴったし同じ。それがあたしがここにいる理由) なんで鍵がベッド脇のテーブルに放り出してあるの? いつも置いておく玄関のとこじゃなくって。あなたは必ずそこに置く。几帳面な質だから。
あたしは汚れた皿を流しに残す。あなたが仕事に出ている間、あなたのベッドでうたた寝し、しわくちゃのままにしておく。あなたは思う。朝一番に綺麗にしておいたはず...よね。そう、あなたは正しい。
ネビュラ受賞作。ほんと変な作品だ。語り手の「あたし」は極端に印象が薄くて、存在を気取られない質だという。それで、デパートや本屋や、ひとの家に勝手に住み着いても、滅多に気付かれない。あたしはよく似た質の「あなた」に目をつける。見た目も似ているし、地味で、誰にも気をとめられない女のあなた。あたしはあなたの家に入り込み、クローゼットや屋根裏に隠れ、時にちょっとした悪戯をしながら、あたしはあなたと暮らす。 あなたは、おかしな気配に悩まされながらも、あたしの存在を見つけられない。やがて、あたしはあなたに男をあてがおうと思いつく。あたしが選んだ冴えない男。あなたと男はぎこちないながらも、やがてベッドに行く。いよいよという時、あたしは、あなたと入れ替わる。あなたはずるずるとベッドの下に這い入る。 あたしがいたところに。 そして...。
取り替え子や妖精譚(日本でいえば座敷童とか)が都市伝説化したような話だ。 あたしが、特殊な能力を備えた人間なのか、物の怪の類なのかは明かされないが、実際はどちらでもいいのだろう。あるいは、孤独なあなたの願望と恐れが、具現化したものでもいい。ほんとに、変な作品。だが、心に絡みついてくる。これが、エムシュだ。
Pelt(狩人)
主人公のクイーンは猟犬である。彼女の主人は惑星を巡って毛皮を商うハンターだ。単純で好奇心に満ちたクイーンの精神は純粋に主人への奉仕と自然への歓喜に満ちたものだったが、ここジャクサ星で出会っただんだら縞の毛皮を纏う一つ目の巨獣に語りかけられ、今までにない混乱と魅惑を感じるのだった。
クイーンの視点による感覚と感情の描写に終始するため、意図的な舌足らずで説明不足な状況が流麗で瑞々しい文章で語られる。あるいは、吾妻ひでおの極端に科白を排した不条理とファンタジィのあわいにある作品群にも通底するようだ。
Peri
わたしは面白みのない老人である。地味な茶色の服しか着たことがなく、酒もクスリも悪い遊びもやらず、何の趣味もとりえもない。いや、ひとつ隠してる能力があった。妻のマーガレットは、何でわたしがその力を訓練して発揮しようとしないのか解らないと言う。あなたは怖がってるのよ、と詰る。そう、ちょっぴりだけど、わたしは宙に浮くことが出来るのだ。マーガレットはわたしに水面を歩かせてみたいらしい。奇蹟のように。だけど、僅か6インチでは足先を不器用にひきずるのが関の山だ。
そして物語は密やかに展開する。ある夏、不仲な息子夫婦のひとり娘、もうじき7つになるイザベルを預かることとなったわたしは、彼女を厳格に躾るために渡されたリスト--8時より遅く起きてちゃだめ、テレビは禁止、映画も観すぎない、暗くなったらでかけない、チョコレート厳禁、バレエとコンサートのみ許可、ピアノとダンスのレッスンとテニスはさぼるな等々--を段々と無視して二人だけの楽しみに耽るようになっていったのだ。はじめはチョコレートでうっすらとカバーされたアイス・キャンディ。おつぎはテニスをさぼってプラザで買い物。ピアノなんてまっぴらとオーボエをはじめ、やがてカラテのレッスンも。そして、口紅とマニキュアとレースのパンティ。イザベラは立派なレディみたいだ。カラフルなネクタイでお洒落したわたしに、お祖父ちゃん、あたしと結婚してよと囁くイザベラ。訪れる至福の時間だったが...。
そしてまた、平穏な日々に戻るわたしたち。秋の浜辺を訪れたわたしは、懐かしく過ぎ去った夏の日々を想い出しながらふと浮かびあがった。ああ、コツをつかんだぞ。海面の波の高さも超えて、わたしは沖へと進んでいく。やがて、靄の向こうに滲んで消えゆくマーガレット。
Venus Rising(ビーナスの目覚め)
とりあえず、大熊宏俊さんによるレビュウ(ヘテロ読誌2003年8月)にリンクさせていただきます。
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