memoir
Galaxy vol. 2, '80
"秘密の鰐について"と供に収録された。
ギャラクシー誌は黄金のSF雑誌だった。その絶頂期には少なくとも誌面の半分には金塊が詰まっていて、この域に迫れるものはなかった。
ちっちゃな子羊みたいに、記憶を飛び越えてみよう。
"秘密の鰐について"は、世界に"流行"--別名を"非独創性--を押しつける秘密結社との闘争における一撃(故に失われた)である。
ああ、再び蜂起し、さらなる戦いを。死せる人びとよ!
ギャラクシー誌は、この流行もしくは非独創性をいだいたがために、幾度となく死ぬこととなった。この、"ひと味違った雑誌"は、他の総ての"ひと味違った雑誌たち"ときわめてそっくりになってしまったのだ。そして、過ぎ去ったものへの回顧へと総てを費やし、死ぬこととなった。
最も新しいギャラクシー誌の編集長ハンク・スタインは熟練した復活屋である。彼は死して朽ちたルイジアナ・アリゲーターに、蘇生の手をかざし鼻腔に息を吹き込んで生命を取り戻した。その後、死せる兎、死せる山羊、そして小ちゃな死せる男の子を生き返らせた。
(彼が自身でこんな事を語った訳じゃない。他の誰かが彼について語ったのだ。)
さあ、おそらく彼がこの雑誌を二度目か三度目の死から甦らせてくれるだろう。信ぜよ!
(もし、この文章が載った時に未だ彼が舵取りできてなけりゃ、こういうことだ。善い奴らがみんな、あちこちにちらばっちまってるんだよ。)
陰ひなたのない回顧主義者を信用するな。願わくば、未来のためにもこんな回顧主義者たちがいなくなるように!
ギャラクシー誌よ、永遠なれ!(と、私は願う。)
しかし、にもかかわらず、これまで辿ってきた道筋はまったくもって奇妙なものだったのだ。
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